パノラマエクスプレスアルプス号



富士急でよみがえった「パノラマエクスプレスアルプス」号(フジサン特急)
2013.11.3 河口湖駅撮影会イベント) 

 

 列車名:「パノラマエクスプレスアルプス」・・・。小学5年の冬、本当に1枚のハガキに適当な列車名を書いて応募した「新型団体列車愛称募集」これが、まさかこんな大事になるとは思いませんでした。

 昭和61年12月中旬の新聞に「この電車に名前をつけてください」という記事があり「この電車は主に中央東線の団体専用に使用し、繁忙期には中央本線で臨時急行として使用します」という内容だったと思います。さっそく、この電車の名前を考えました。新聞には記念にもらったオレンジカードと同一の完成予想イラストが載っていた。まず、1番先に「パノラマ」と言う単語が浮かびました。自分なりに、やはり車両の形状から一番ぴったり来る単語でした。そして、当時人気を博していたサロンエクスプレス東京号(現在は「ゆとり」に改称)が私のお気に入りだったので「エクスプレス」と言う単語をくっつけました。さらに中央東線で臨時急行といえば「アルプス」と浮かび組み合わせると「パノラマエクスプレスアルプス号」と案外しっくり来る名前になりました。さっそくハガキ1枚に「パノラマエクスプレスアルプス号」と書いてポストへ投函しました。小学5年生の頭ではせいぜいこの程度の名前しか思いつかないし、このような経緯で名前を考えたのでどうせ採用はされないだろうと思ったのですが・・・。

 3ヵ月後の昭和62年の2月下旬、ようやく日が長くなり始め春の足音が聞こえて来ようとしている時、当時小学5年生だった私の所へ1通の封筒が届きました。差出人は、国鉄東京西鉄道管理局からで内容は今春登場する展望電車の名称が決定し、あなたが応募した「パノラマエクスプレスアルプス号」に決まった事と完成試乗会への案内でした。このあと、いろいろあったのですが、無事に国鉄末期の昭和62年3月24日の試乗会に参加(乗車)できました。
 
 最後の最終運転には乗車できませんでしたが、最初の試乗会と休日の多客臨最後の列車に乗車できたことは、何かの縁だったのかもしれません。その後、富士急行へ譲渡され特急フジサン特急として活躍してます。2013年11月30日からは、2014年2月で引退する2000系2002編成(3連)を「フジサン特急」塗装から、懐かしい「パノラマエクスプレスアルプス」色に復元して最後の活躍をしました。

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 「パノラマエクスプレスアルプス」色の2002編成の運転は終了しました。(2/9の引退イベントは大雪のため中止)
 ※「フジサン特急」(2001編成)の活躍も、2016年2月7日で営業運転を終了しました。

  
パノラマエクスプレスアルプス号


「パノラマエクスプレスアルプス上越線ラストラン号」(団体列車)
2001.07.14越後湯沢駅) 


 1987年3月から運用を開始した、前後の展望スペースが特徴の欧風電車です。従来の団体用車両とは異なり、当初から多客臨として利用することを前提としているため座席主体の客室となっています。また、展望をテーマとしているため、前後の展望スペースとは別に客室内の窓も上下幅を拡大してより良好な眺望を得られるように改造されました。

<車体>
 種車は、当時三鷹電車区に配置されていた波動用の165系6両が使用されました。1号車と6号車のクロ165については、前面展望スペースなど大掛かりな改造となるため車体新製としました。そのため、種車(クハ165型)のクーラーも使用されずに集中型クーラーを当初から装備しています。2号車から5号車については、165系の面影を色濃く残しています。この編成は、クロ165型が展望車両となるため片側の3両の方向を転換させて、両端がクロ165型・中間側にクモロ165型が連結されるように調整されました。
 形式については、当時存在した千葉鉄道管理局のお座敷電車「なのはな」の続番となっています。
 
<展望スペース・ラウンジ>
 展望スペースについては、小田急ロマンスカーと似たような形状で、運転席(階上)より前に客席がある構造になっています。これは、当時の国鉄としては初めての試みとなりました。また、フリースペースとして利用し長時間の使用を防ぐため固定座席でやや硬めになっています。(試乗会での説明より)
 半室構造の運転台より後部には、ラウンジが設けられました。前面等は望めないため、窓側に向いてソファーが設置され国鉄時代の電車では最大の大きな窓ガラス(1700mm×1050mm)の窓ガラスを2つ設置して、1号車には窓ガラスの間に「展望車パノラマエクスプレスアルプス号名付け親」として63名の名前を刻んだ銅板を設置しました。(現在撤去済み)

<客室内・多目的室>
 客室内ついては、眺望性を良くするために窓を上方に100mm拡大すると同時に通路から床を170mm高くしさらに、窓側へ15度座席の向きを変える事が出来るなど眺望を良くする工夫がなされました。座席間隔は、1350mmと非常にゆったりとした間隔でリクライニング角も50度を確保しレッグレストを引き出すとゆったりと休むこともできます。2号車と5号車のパンタグラフ部分(低屋根部分)には、多目的に利用できる個室が設置されました。3人掛けソファーが対面に置かれ、窓についてはこの部分のみ開閉可能となっていました。
 また、客室戸上にはデジタル速度計や時計を設置しテレビモニターから映し出される前面展望画像と合わせると客室内でも迫力ある展望車の旅が出来るようになっています。団体利用時には必需品となっているレーザーカラオケ装置や40インチのテレビモニター(1号車・6号車の展望席側は28インチ)が装備され、2号車から5号車までは客室の端に「ミニステージ」が設けれていました。 
 なお、1998年の入場の際に展望室の上にあったサンルーフは廃止され塞がれました。

<方向幕>
 行先表示は、当時としては珍しい発光ダイオードとしていろいろ表示(種別・愛称・行先)ができるようになっています。実は、富士急行へ行った際に行先対応表を記録しておこうかと思いましたが忘れてきてしまいました。登場時のまま残っているとすれば「特急あさま」「特急あずさ」もあるかと思いますが、現在の内容については不明です。

■165系欧風電車「パノラマエクスプレスアルプス」形式写真 
 

1号車 クロ165−4
定員20名(他に展望12名・ラウンジ13名)
 (現:クロ2002)
 
  

4号車 クモロ165−3
定員36名
(現:クモロ2201)
 

2号車 モロ164−804
定員32名(他に個室6名)
(現:モロ2102)
 

5号車 モロ164−803
定員32名(他に個室6名)
(現:モロ2101)
 

3号車 クモロ165−4
定員36名
(現:クモロ2202)

6号車 クロ165−3
定員20名(他に展望12名・ラウンジ13名)
(現:クロ2001)

  
※下記形式は富士急での形式 
パノラマエクスプレスアルプス号との出会い〜試乗会 1987.3.22 新宿→甲府 


甲府駅に到着した試乗列車1987.3.24 甲府駅) 

 

 昭和62年3月24日、ついにパノラマエクスプレスアルプス号に試乗しました。試乗区間は新宿−甲府間でした。話を戻すと、3月に入り東京西鉄道管理局から電話があり「小学生1人ですけど大丈夫ですか?」。と言う内容でしたが、両親は新宿から後続の特急あずさ号に乗車すれば甲府駅には先に着くので、指定された席に座らせておいてほしい。あと、甲府から長野へ直接戻るので復路(上り:甲府−新宿)は辞退します。と伝えたところ、次の日に「それでは、席に余裕があるので3人でどうぞ」と言うことで家族で乗車(試乗)できました。当時は、いくら高学年に入るとは言え、まだ小学生が1人で120キロ近く移動するのは鉄道管理局側も心配だったのでしょう。まぁ、当然ながら記念品は1名分しか貰えませんでしたが・・・。1号車のサロンへ行って名付け親の銅版を見にゆきました。確かに私の名前も刻まれていたのを確認してから一番驚いたのが、同じ名前を考え付いた人が大勢いたことであった。車内は、ゆったりしたシートが並び非常に快適で甲府まであっという間でした。本当は、帰りも新宿まで乗りたかったのですが、それは叶わぬことで、後ろ髪を引かれつつ甲府からは特急あずさ号で松本へ向かい松本から急行南越後号(松本−長野間普通列車)で帰路につきました。

  

 
■1987年3月24日:試乗会記念品  

記念オレンジカード(10枚)
 

完成記念弁当(試乗会参加記念品)
  

完成記念試乗券

完成記念ベルト

※他にパンフレット1部(ページ下部に掲載
■名付け親記念銅板   
 

1号車に取り付けられた名付け親記念銅版

(プライバシー保護のため画像調整)

 JRで「パノラマエクスプレスアルプス」で活躍していた時代には、1号車のサロン部分に「名付け親」の方々の名前を刻んだ銅板が付いていました。
 富士急行に譲渡された際に廃棄されてしまったかもしれませんが、多くの方が同じ名前を考えていた事に驚きました。
 当時は、「〜エクスプレス」と付けるのが流行っていましたので、同じ考えの方が多かったようです。

自分の名前部分の拡大

 

臨時快速桃源郷パノラマ号  2001.4.7 甲府→新宿 



甲府駅に入線する快速桃源郷パノラマ号(2001.4.7甲府)
 
 私が、パノラマエクスプレスアルプス号の名付け親の1人に選ばれてから15年過ぎて時は21世紀最初の年、この間色々な事がありました。国鉄がJRに変わり、昭和から平成に時代は移り長野新幹線が開業し碓氷峠が廃線になった。この時、パノラマエクスプレスアルプス号が碓氷峠を越えた最後の団体列車となり話題になりました。

 月日が経つのは早く、パノラマエクスプレスアルプス号も足回りが老朽化してきたため引退が決定しました。21世紀最初の春でした。その直後、中央東線でパノラマエクスプレスアルプス号を使用した臨時快速桃源郷パノラマ号が運転されたので、乗れるときに乗ろうと乗車を決意し指定席を探しましたがすでに満席の状態で乗車は無理かと諦めていた矢先の4月6日に4月7日の上りの指定席が確保できたため急遽出発することになりました。さらに、乗車当日の朝に窓側への変更にも成功して準備万端整いました。
 甲府市内で、武田信玄祭りと満開の桜を見物し甲府駅に到着し快速桃源郷パノラマ号の入線を待ちます。甲府駅は、列車の本数が多い割に中央線ホームが3つしか無いため入線は発車4分前という事で急いで撮影しなければ思った矢先に、人身事故でのダイヤの乱れが甲府駅まで及び快速桃源郷パノラマ号の発車時刻である16:03に遅れていた先行の15:58発の特急あずさ64号が発車し、16:05に快速桃源郷パノラマ号が入線しドアが開いたと同時に発車の音楽が鳴り始め撮影する暇もなく慌しく甲府駅を発車しました。乗車後は、席につかずにまっすぐ1号車のラウンジへ行き名付け親の名前を記した銅版が飾られているので全景を撮影してさらに自分の名前の部分だけアップで撮影して席へ戻ります。車内は、座席のカバーが変わったほかは当時のままでゆったりとした座席が並んでいる。途中の桃の花畑では徐行のサービスもして列車は夕焼けの関東平野を新宿へ向かっている。車内に速度計がついており平均速度は80キロぐらいで臨時特急かいじ182号のスジで運転されている割にスローペースで走っています。車内を一巡して車窓を見ていると全席グリーン車指定席が作用してか、この手の臨時列車(団体列車を使った一般客扱い)では珍しく車内改札がありました。登場当時の様子を思い出していると1時間50分はあっと言う間で18:00に若干遅れて新宿駅に到着しました。新宿駅では、三鷹電車区への回送までに時間が15分ありゆっくりと撮影ができました。

 

新宿駅に到着した快速桃源郷パノラマ号


ヘッドマーク部分

客室内

快速桃源郷パノラマ号指定券

   
 
パノラマエクスプレスアルプス号上越線ラストラン撮影
2001.7.14 越後湯沢駅・越後中里駅で撮影 



特徴的な先頭部のサイド(越後中里)
 
 21世紀最初の夏、いよいよパノラマエクスプレスアルプス号の引退日が9月2日に決定し各方面への「さよなら運転」が始まりました。7月14日には、第1弾として上越線での最終運転が行われたので越後湯沢駅と越後中里駅へ撮影に向かいました。この列車は上野−越後湯沢間で運転され越後湯沢到着後は、JR東日本の485系リニューアル編成の特急はくたか7号との並びも撮影できましたが、停車時間が短かくすぐに越後中里駅へ回送されてしまった。越後中里駅へは、普通電車が3時間後まで無いのでタクシーで越後中里駅間で向かい撮影しました。今回が、多分ゆっくりと撮影できる最後の機会になるだろうと思い三脚持参で私も入れて記念撮影をしたり編成写真を撮影したり1両1両形式写真を撮影したりと納得できるまで何回も撮り直しをしたためフイルムの消費が予想以上でしたが、パノラマエクスプレスアルプス号最後の夏の撮影寂しいやら楽しいやら複雑な心境で真夏の昼下がりを山間の小さな駅で過ごしました。

 今度は、普通電車で越後湯沢へ戻り再びパノラマエクスプレスアルプス号の撮影をします。撮影中に、特急はくたか12号が入線してまた並びが撮影できました。こんどは、681系北越急行車スノーラビットとの並びが実現です。この並びは、最初で最後なる貴重な撮影チャンスをわれわれ鉄道ファンにもたらしてくれました。。これで、上越線での撮影は終了しました。

 

越後湯沢にて特急はくたか7号との並び
 

行先表示は、「パノラマエクスプレス」
 

越後中里駅にて

越後湯沢駅にて特急はくたか12号との並び
 
 
 臨時快速せせらぎパノラマ号
(パノラマエクスプレスアルプス号さよなら運転)

2001.8.26 立川→奥多摩 



立川駅に停車中の快速せせらぎパノラマ号
 
 8月26日、夏休み最後の日曜日私は立川駅にいました。今日は、パノラマエクスプレスアルプス号の一般臨時列車として休日最後の運転日です。

 今回の臨時快速せせらぎパノラマ号での運転では、青梅線の奥多摩まで入るので4・5号車を外した4両編成で運転されます。 臨時特急ひばり号の運転日と重なったにもかかわらず指定席は僅か3秒で完売する人気ぶりです。当然車内は満席で、列車は青梅線の奥多摩を目指して11:40に立川を発車します。これが、パノラマエクスプレスアルプス号最後の乗車になります。列車は、青梅まではノロノロ運転が続きましたが、後半は速度を上げて運転しました。このパノラマエクスプレスアルプス号も、これでいよいよ見納め・乗り収めです。私が、名付け親の1人となった列車が引退するのは非常に寂しいことですが、よく15年間無事故で無事に走り続けてくれたと感謝もしています。列車は、定刻に青梅線の終点奥多摩駅に定刻に到着しました。到着後すぐに写真撮影を開始したが6分後に列車は三鷹電車区へ回送されました。これが、私とパノラマエクスプレスアルプス号との別れであった。
 パノラマエクスプレスアルプス号は、9月2日の団体列車を以って引退し富士急へ売却されパノラマ特急に使用される予定です。運転を開始したら試乗しにぜひ出かけたいと楽しみしています。

 

   

奥多摩駅に到着した臨時快速せせらぎパノラマ号

(パノラマエクスプレスアルプス号を撮影した最後の1コマ)

パノラマエクスプレスアルプス号イオカード

せせらぎパノラマ号指定券

  
 
富士急での久々の再会 
(富士急行:フジサン特急3号)

2010.4.3 大月→河口湖 


富士吉田駅に停車中のフジサン特急
 
 2001年8月26日に、奥多摩駅で最後の別れをしてから長い月日が流れました。パノラマエクスプレスアルプス号は、富士急行に売却されて「フジサン特急」として、第2の活躍を始めました。本当ならすぐにでも乗車したかったのですが、なかなか「パノラマエクスプレスアルプス」のイメージを変える事が出来ず、フジサン特急の乗車も延び延びとなっていました。
 ようやく富士急を訪問しようと思ったのが、2010年4月3日でした。実に8年以上の歳月が流れていました。大月の駅に到着すると、パノラマエクスプレスアルプス号は、塗装を変えて大月駅に停車していました。塗装は、ガラリと変わりましたが車体はあの時のままです。
 車内に入ると、パノラマエクスプレスアルプス号当時の面影が随所に残っていました。偶然にも大月駅の停車時点で、パノラマエクスプレスアルプス号当時の1〜3号車の編成でしたので、試乗会当時に座った1号車8番A席を選択。当時を思い出して懐かしい列車の旅を楽しみました。本当は、パノラマエクスプレスアルプス号のイメージを大切にしておきたかったので、訪問するか本当に大月駅で下車するまで迷ったのですが、意を決して乗車して本当に良かったです。
 また、何かの折があればぜひ乗車したいと思っています。
 

富士吉田側先頭車
 

富士吉田まで展望席は逆向きです
 

座席
 

時計と速度計は上からシールで塞がれました
 

大井工場のプレートが残ります

河口湖駅に到着
 
パノラマエクスプレスアルプス色復活 
(富士急行:フジサン特急12号)

2013.11.30 河口湖→大月 



大月駅に到着したフジサン特急12号
 
 2013年になって、このページを更新するとは思いませんでした。富士急で活躍する2000系電車(富士急HPの表現による)のうち、2002編成が2014年2月に引退することになり、塗装を懐かしい「パノラマエクスプレスアルプス号の塗装に復元して、11月30日の「富士急電車まつり2013」から運用を始めて撮影会も開催。と言う、驚くべき情報が入りました。あの「パノラマエクスプレスアルプス」の雄姿をもう一度見る事が出来ると言う事で、仕事を調整して出かける事に。本当なら大月8:13の列車に乗れば乗車証とか貰えたのですが、長野から大月に8:13に着く手段は無いので、下吉田駅からの臨時列車と特急フジサン特急12号に乗車することに。
 下吉田駅で、ホリデー快速富士山3号降りて目に飛び込んできたのは、懐かしい165系パノラマエクスプレスアルプス号。しかも、両端の先頭車共にヘッドマークも当時の物。グリーン車マークも復元。さらに、車体の車両番号の標記も復元されているという、予想以上の再現に驚くと同時に富士急行さんには感謝の気持ちがわいてきます。
 この後、下吉田発の臨時列車で河口湖へ。河口湖で撮影会。河口湖から特急フジサン特急12号(1号車)で大月まで、懐かしいパノラマエクスプレスアルプス号の撮影・乗車を1日楽しみました。
 来年(2014年)の2月で、(2002編成が)引退となってしまうのは寂しいですが、最後に往年のパノラマエクスプレスアルプス塗装に戻れた2002編成は幸せでしょう。最後まで、事故が無いように走りぬいてほしいです。
 ■詳細は、こちらをご覧ください 


大月側の展望車
 

このヘッドマークも復活
 

富士山側の貫通先頭車
 

こちらもヘッドマークが復活
 

車体の形式標記も復活
 

グリーン車マークも復活
 

行先表示は、この表示

車内は従来通り
 
 資 料
 パノラマエクスプレスアルプス号試乗会時(昭和62年3月24日)に配布されたパンフレット 
 
 
表紙
 

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裏表紙