屋代線廃線のその後 作成日:2012年 9月28日(金)
更新日:2017年 3月 9日(木)


屋代線の輸送はバスへ
 

 3月31日に廃線となった長野電鉄屋代線。あれから半年経ちましたが、廃線後から半年後までにいろいろ変わったようですので見に行ってきました。(撮影は、4月〜9月の随時)

■輸送はバスへ
 屋代線の廃線で列車による運転が終了した翌日の4月1日から、長電バスによるバス輸送が始まりました。朝の一部の便は、「快速便」として一部の停留所を通過します。また、松代駅を起点に運転系統が分かれている時間帯もあり、乗換が発生する場合があります。
 車両は、朝の高速便(松代→須坂)は観光バスタイプですが、それ以外は一般的な路線バスでの運転となっています。須坂病院・松代総合病院は、目の前まいバス停があるので通院者には好評のようです。

須坂駅ホームの貼り紙
 

須坂駅の停留所は市民バスのデザイン(緑色)
 

信濃川田に停車中のバス

屋代駅は、普通の長電バスのデザイン

■消えた踏切

まだ踏切の雰囲気が残ります(井上付近)
 
 屋代線の廃線で、踏切を一部を除いて使用が終了となりました。3月31日の最終列車運転後から、遮断棒の撤去など始まりました。
 警報機・遮断棒こそありませんが、辛うじて踏切という雰囲気を残していましたが、松代町東寺尾付近の踏切は、線路が撤去され再舗装も施されました。このため、踏切跡は新しい舗装部分しかなくなり、通過する車も徐行することなく通り過ぎてゆきます。
 今後、このような踏切が増えてくるでしょう。

こちらは松代付近
 

多くの踏切はこのような状態です
 

この踏切(松代町東寺尾付近)は完全に再舗装
 

車両が走る夢は断たれました
 

途切れた線路

車はスピードも落とさず通過

■残った踏切(2013.03.01撤去)
 須坂駅構内の外れの第10号踏切は、保線車両の出入りのため踏切の機能が維持されています。保線車両が出入りする事は少ないようですが、車両の出入りがある以上は、踏切は維持されて一時停止の義務が発生しています。
 画像手前の線路が保線車両用の線路で、奥の線路が旧屋代線の線路です。旧屋代線の線路も架線は取り外されています。

 ※2013年2月28日深夜に工事を開始し、日付が変わり3月1日に撤去されました

■本格的な線路撤去
 屋代線が営業運転を終了して約1年が過ぎたころ、保線車両の出入りの関係で残されていた屋代線の最後の踏切となる10号踏切が2013年3月1に撤去されました。
 それに合わせるかのように、各所で一斉に線路の撤去作業が開始され屋代線はその姿を消そうとしています。

撤去された10号踏切

須坂駅から井上方向へ撤去が始まりました
   ※以上、2013年4月3日撮影 

保線側の線路も撤去され枕木と線路が山積みに

屋代線の線路撤去は終わったようです
    ※以上、2013年4月22日撮影 

■河東線公園
 2015年8月1日、旧10号踏切の井上側となる旧屋代線線路跡(約150m)と保線基地跡(旧貨物線)の一部を活用して、地元住民・周辺企業が協力して「河東線記念公園」というかたちでの活用が決まりキックオフイベントを行い解放されました。なお、屋代線側は舗装され歩行者用道路(遊歩道)になっています。
 

河東線公園看板

左:河東線公園・右:歩行者用道路

■車両解体場(2017.03.07)
 2017年3月、旧10号踏切の須坂駅側の一部線路(屋代線)と架線・架線柱が撤去されました。その後、「お別れイベント」を行ったOSカー10系電車とED5001形電気機関車が移動されて解体作業が始まりました。この場所は、国道に面しているため重機などの搬入がしやすいので、役目を終えた車両はこの場所で解体されることになりそうです。
 ただ、将来的に車両を導入する際は場所が狭く、トレーラーの進入やクレーンでの吊り上げは難しいと思われるので解体時のみ使用されるかと思われます。
 

一部線路や架線を撤去して解体場に

今後も役目を終えた車両が解体されるでしょう

■役目を終えた駅舎

バス待合所に転用された駅舎も(信濃川田)
 
 役目を終えた駅舎は、バスが立ち寄る駅舎では「バス待合所」として活用される駅舎もあります。
 基本的には、駅名板を外され立入禁止になった以外は、意外と3月31日当時の雰囲気を残している駅舎が多いようです。
 
 管理人の住む須坂市で唯一廃駅になった井上駅は、もともと無人駅だった事も手伝って、駅名板が外され、出入口が塞がれた意外は、乗車口やワンマンミラー・運賃表も残っており現役当時とほとんど変化がありません。(文章・画像ともに2012年9月現在。)
  
 (注)その後解体され更地になりました。

井上駅

入口が塞がれた以外は現役のまま

■信濃川田の車両

小布施から移動した旧型車
 
 
 屋代線廃線から半年近くが経過しましたが、信濃川田駅構内に留置されている車両は、特に移動等の変化もなく時を過しています。
 廃線間際には、旧型車両のみシートで覆われましたが、2000系A編成も活用する場がないのか、シートで覆われて、現在はその姿を見おる事が出来ません。
 3500系O1編成のみ、3月31日と同じ状態で見る事が出来ます。
 
 ※構内は立ち入り禁止のため、詳細な変化はある可能性があります。画像も敷地外から撮影しました。

3500系O1編成はそのままの模様

2000系A編成にもシートが・・・(踏切跡より)
 

■デハニ201・モハ604が安曇野へ(2014.10.11)

トレーラーに載せられ出発準備完了
 
 長野電鉄旧屋代線の信濃川田駅構内に保管されていた旧型電車3両(+電気機関車1両)のうち2両(デハニ201・モハ604)が、北安曇郡松川村のある「安曇野ちひろ美術館」で「トットちゃん電車の教室」として利用されるため、長年親しんだ長野電鉄沿線エリアから安曇野へ旅立つ事になりました。
 本日(10/11)の夜に(旧)信濃川田駅を出発するということで、トレーラーに載せられ出発準備が完了したとの一報で見に行ってきました。
 
 ※安曇野ちひろ美術館での公開は、公園の開設工事が終了してから2016年夏の予定です。

モハ604

デハニ201

■ED5002形電気機関車が長野市内の企業へ(2015.04.10)

残る旧型電車は、モハ1003のみとなりました。
 
 
 
 旧屋代線信濃川田駅跡に保管されていた、長野電鉄ED5002形電気機関車が長野市内の企業敷地内で保存されることになり、前日の夜(4/9)に信濃川田駅跡を出発して新たな展示先となる長野市内の企業へ向かいました。
 翌日となる本日の午前中に設置作業が行われました。なお、近くの敷地外からの撮影は重機や車の駐車場とフェンスで無理でしたので、少し離れた場所から撮影しました。
_

クレーンで宙に舞うED5002形電気機関車

クレーンで設置作業中のED5002形電気機関車

■信濃川田駅保存車両その後(2017.03.09)
 昨年(2016年)の12月に3500系O1編成が現地で解体されたました。今更となりますが、信濃川田駅の保存車両の様子を見てきました。1両だけ離れたところにモハ1003が見られますが、塗装が色あせてきた他は思ったより傷みは少ないようでした。旧駅舎側に置かれている2000系A編成の痛みはかなり進んでいて、特に朝日が当たるモハ2001の前面の痛みが酷いようです。2000系トップ編成となるA編成ですが、今後どのようになってしまうのか気になります。

3500系O1編成は解体されました
  

モハ1003が1両残っています
 

2000系A編成も朝日が当たる2001の塗装が・・・

モハ2002側も傷んできました


※引き続き変化がありましたら更新します