■国鉄直通の急行志賀号

 昭和37年3月1日からキハ57系気動車2両が、信越本線の屋代駅から長野電鉄河東線(当時)に直通乗り入れし湯田中まで運転される急行志賀号・急行丸池号の運転が始まりました。翌年の昭和38年10月には、165系急行電車により、愛称も「志賀」に統一され1日2往復の運転なりました。昭和43年10月からは、車両も169系電車にかわり急行列車の愛称統一ということで、湯田中方面の列車も「信州」に統一されましたが、翌年には再び「志賀」に列車名が変更されました。
 その後、急行志賀号は長野電鉄線内に乗り入れ、首都圏から志賀高原方面へ向かう直通列車として人気を得ましたが、昭和53年には1往復が季節臨時列車となり昭和57年11月の改正で廃止となりました。
  

須坂駅に到着する急行志賀2号(昭和54年ごろ:父親が許可を得て撮影)
   

急行志賀号のイメージ(2011.04.09 しなの鉄道屋代駅撮影会)
 

ヘッドマーク(晩年はなし)(2012.01.21 しなの鉄道屋代駅撮影会)
 

急行志賀号のサボ(2011.01.29 しなの鉄道屋代駅撮影会)