2.長野新幹線開業前夜まで

 1996年最後の秋となる信濃路を走る特急あさま号。来年の今頃は、この線路は「しなの鉄道」に・・・。
 特急しなの号の定期列車は、1996年冬に383系に置き換えられました。189系あさま号との共演は僅かな期間でした。
 横川駅に停車中の特急あさま号。背後の桜を特急あさま号が見るのは最後となりました。
 角度は違いますが、浅間山を見ながら最後となる春の信州を走る特急さま号
 碓氷峠を登り軽井沢へ向かう特急あさま号。碓氷峠の人出も多くなり、安全上ロープが張られました。
 碓氷峠の廃線を惜別する意味で、EF63型電気機関車に一部が、登場時の「ぶどう」色に復刻塗装が施され、189系あさま色との新たな組み合わせが生まれました。
 横川駅での、EF63型電気機関車の切り離し作業です。EF63型ぶどう色は「茶釜」と呼ばれていました。
 特急あさま号の活躍も残り1ヶ月となった1997年9月。特急あさま号は、横浜への乗り入れを果たしました。臨時特急マリンシティーあさま号として、土曜・日曜に1日1往復しました。現在の湘南新宿ラインとほぼ同じ経路での運転でした。
 最後の最後で、幻のコマと呼ばれていた「特急あさま・横浜」の表示が正式使用されました。
 長野行新幹線(当時)の試運転も終盤を迎えると本数が増えて、新幹線と189系「あさま」との並びも見ることが出来るようになりました。特に11:40は、11連の特急あさま14号と新幹線の入区回送との時間が重なり綺麗に並びが撮れるので人気を集めました。
 日暮れ間近の横川駅に到着する特急あさま号。この時期は、撮影帰りのファンで夕方の特急あさま号は、土日になると上りも下りも横川から混雑することがしばしば・・・。
 1997年9月30日。在来線特急あさま号最終日。朝の長野駅は、いつもと同じ静かな朝でした。
 上野駅の特急乗り換え改札も、特急あさま号に乗車するために通過するのはこれが最後です。
 上野駅には、「あさま」を惜別する看板がかかりました。
 直江津では、上り最終特急あさま38号の出発式が行われました。直江津駅から「あさま」の列車名も同時に消えました。
 長野駅では、通常では2分停車ですので花束贈呈があった程度でした。
 テレビ局の取材用ライトを浴び蛍の光の音楽に送られて上野へ向けて発車する最終の特急あさま38号。
 上野へ向けて長野を発車する最後の特急あさま38号。もうこれで、長野駅から発車する在来線の特急あさま号はありません・・・。




 

1